突然の移行

突然

diaryが終了するとのことでした。

慌てて

移行しました。

なかなか

移行ができず困りました。

時間帯によっては

全く以降の進展がなく

徹夜しなくてはならない程でしたが

時間帯を外すと

ちゃんとできました。

3人分移ができたみたいです。

使うかどうかわかりませんが

残しておきました。

懐かしい日記の数々。

新鮮な気持ちで読みました。

何回してもやり方がわからず

途方に暮れましたが

再挑戦する気持ちを

このdaiaryから学びました。

やっとできましたが

未だにやり方は理解できません。トホホ。

とにかく移行できて良かった。

感謝です。

くぎり と言うこと

三月と四月の間に川がある
  
きのうの続きが今日
その境が真夜中にある
町と町のさかいは
川だったり、道路だったりする
  
区切る。と言うことを考えたのは人の知恵
 
区切ることの出来ないものもまでも
くぎろうとするのは
人の愚かさ なのかもしれないが
  
未曾有の災害が起こってから
三週間たった
年度末 と言う区切りでもある、
  
生きる
生きていくって
なんて哀しくむごいことなのだろう
  
心の区切りは
付けられるはずなんてないのだから
  
それでも
やはり
区切りをつけて
新しい一歩。主の御栄光を拝するために。

思い込んでしまう と言うこと

アドナイニシさんのブログのなかで
ある方の言葉で
テレビの報道はひどいところの様子ばかりが繰り返されている
と言うようなこと書いてあり
仙台市内は大変な状況ではあるがーーとあった
  
実は 連絡の取れない知人に
祈る思いでメールや電話を掛けていた
報道される映像に知人の姿を探した
そして、ふと、もしかして。とおもうようにすらなってしまった
それほどに、一日中テレビつけっぱなしの4日間だった
  
そして今日。
やっと
元気な声。
  
電気がつかなくて。
こんな凄いことだったんだって
テレビ見てわかったわぁ。と
  
情報は必要だけど
繰り返されているうちに
それが すべてと思い込んでいたのかもしれない
  
洗脳
  
と言う言葉を
ふと
おもった
  
今朝も朝から
テレビつけっ放し
なにか新しい情報が
と思うと
消せない
  
依存症
という言葉が頭をよぎった

ある日突然に

かって経験したこともない地震だった
老いた猫とテーブルの下にかがみこんだ
物の倒れる音がする
窓ガラスのむこうを吊り下げたプランターが落ちる
テレビをつける
想像を絶する光景
津波にのみ込まれる車、家
見えないけど
そこに家庭が、親子が、ひとが、職場が
つい、いまさっきまで、あったはずなのだ

なぜ
とは、問うまい
ただただ
主を畏れた
  
テレビに報じられる所に住む
あのひと、このひと
を思う
祈ることしか
今は出来ないが

あんなこと こんなこと5

夫の記念会ーー法事のようなこと
お祈りで始まる食事会みたいなもの
先週した。
一度はしなくちゃぁ
女房のつとめと。いう思いもあった
帰り際
義弟の嫁が
うちのネコ死んだの と言った
  
老いたねこを飼っていること
夫を亡くし<おひとりさま>ということでも
気の合うひとであった
  
まっててねって いって出かけていて
帰ってきたら ぐたりして
抱っこしてやってたら 胸の中でこっとって
一生県命、待っててくれたんだわね と
そのけなげさに少し涙ぐんだ
  
わたしも
出かけるとき
猫にかける言葉がある
死ぬんじゃないよ
   
帰ってきたとき
硬くなった体、抱くぐらい嫌なことはない

もしかして
むごいこと猫に命令しているのかもしれないが
鍵をあけコートも脱がず
触れるだろう硬さは切なすぎる

だけど
犬とちがって猫は
どんなにかわいがってやっても
命令なんて聞いちゃあいないにきまってる
  
やっぱり 命の鍵は
神様がこの時と決めて使われるのだろう
  
夜、残ったビールで猫を相手に乾杯した
ドジちゃんとーー猫の名前ーー夫のこと
どっちも
けなけに、頑張ったんだよねって。

富士山

二月に富士山に登った
昔々の事なのだけど
さんざんな思いだった
一緒に登ったものたちのほうが
もっと
さんざんな目にあったはずなのだけど
  
若さが、女だということが
そこそこ許されていた
と思った

すぐ目の前の頂上を断念して
一緒にザイル組んで下りてくれた仲間を
忘れられない  

あの日があったから
万感の思いで
富士山をながめるときがある
特に二月の雪の富士山
  
富士には月見草より
夕日がよく似合う

アドナイニシさんの写真見て思った
そして
忘れていた
あんなことこんなこと思い出した